パーソナルアシスタント町田
vol.141 2019.2 発行

<第141回> バリアフリーとは

新年あけましておめでとうございます。
今回のコラムを担当する三井です。今年もよろしくお願いいたします。

 昨年、私はとあるユニバーサルデザインに関わるイベントに参加しました。
 ユニバーサルデザインの意味についてご存知の方も多いと思いますが、念のために書かせていただきます。
 ユニバーサルデザインとは、すべての人が使える設計のものを指します。
 そのイベントで、偶然私と同じ地域に住んでいる視覚障がいを持った女性に出会いました。その女性は盲導犬と共に日常生活を送っている方でした。
 住んでいる地域が同じこともあり、その女性と打ち解けることに時間はかかりませんでした。やがて話していく中で、その女性から車椅子ユーザーの方に聞いてほしい話があると言われました。
 そこで話に出たのが、車椅子ユーザーのバリアフリーの話でした。近年、我々が住んでいる地域は、段差を解消したりするバリアフリー化が急激に進んでいます。それは、我々の住む町に限ったことではありません。日本国内の多くの場所で取り組んでいる事です。
 そして、段差解消を必要としているのは車椅子ユーザーだけではなく、高齢の方も必要としています。高齢化が進み、2020年のオリパラを控えた日本ではバリアフリー環境が整ってきている事は当然といえるかもしれません。我々、車椅子ユーザーとしてはうれしい限りです。行く事ができない場所は減り、転倒、落車のリスクも減ります。

 しかし、視覚障がいを持った人からは別の見方ができているようでした。
 視覚障がいを持った人は、盲導犬の他に、杖を使用してあらゆる情報を得ます。その情報とは障害物の有無、曲がり角の場所などです。それらの情報は私たちが感じる以上にとても重要なのは言うまでもありません。
 そして、段差解消が時にその重要な情報を奪ってしまう事があるというのです。具体的に言うと交差点の横断歩道などの段差をバリアフリー化した結果、どこまでが歩道で、どこからが交差点か、杖を使ってもわからなくなってしまった。といったことです。その結果、車が行き交う交差点にそのまま足を踏み出してしまったようです。
 実際にインターネットなどで調べてみると危ない思いをされた方は数多くいらっしゃいました。

 そのイベントの帰り道の高速道路を走りながら、そのことをずっと考えていました。
 今までは、バリアフリーについてなにも罪悪感を感じる事もありませんでしたが、なんだか車椅子ユーザーのエゴのようなものを感じてしまいました。
 別に私が何かしたわけでもありませんが、同じ障がい者なのに見えている景色はこうも違うという事を痛感しました。視覚障がいを持った人にとってのバリアフリーとは、横断歩道の段差解消ではなく、点字ブロックの誘導や音響式信号機で、すべての段差を解消することではなかったのです。

 では、他の障がいを持った人に有効ではないとわかったこのバリアフリー化についてどのような考え方をすればよいのでしょうか。今回のケースで段差解消のバリアフリー化が必要なのは車椅子ユーザーや高齢者でいわゆる多数です。そして、視覚障がいを持った人の数から考えれば明らかに少数です。だからといって仕方ないと切り捨てた考え方はできません。シンプルに考えるのであればすべての人が使えるようなものを作る、いわゆるユニバーサルデザイン的な考えに基づいて環境整備を行う事が考えられますが、障がいと一口に言ってもその特性は様々であることは言うまでもありませんし、そもそもユニバーサルデザインの対象は全ての人であり、健常者も含まれます。そのため配慮もまた様々だと言えます。このようにすべての人が使いやすい物を作り出そうとするとその発想の難易度は高くなってしまいます。予算的な問題も生じる事でしょう。このような場合、皆様ならどのように答えを出しますでしょうか。

 今回の一件から学べることは非常に貴重な事でした。まずは車椅子ユーザーが望むバリアフリー化が進むうえで苦労している人がいる事を知れたこと。
 同じ障がい者の中でも視点は異なり、配慮すべき、また配慮を必要としている部分も異なること。さらにバリアフリーの形も同じく異なることなどです。
 冒頭にも触れた通り、オリパラや高齢化で環境整備は加速的に行われていくと思いますが、適切に環境整備が行われるように実際に環境整備を求める側である我々も声をあげていくべきなのかもしれません。

次回のコラムもどうぞよろしくお願い申し上げます。


(三井)



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