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vol.101 2015.8 発行

<第101回>ALSと共に生きて考える : Ⅶ 「新しいALS観」を目指して 「ケアとはアートである」

7年前、相模原市の自営業者50代男性がALS発症の診断を下されました。ALS(筋萎縮性側索硬化症)について全く知識のない一家にとってそれはまさに青天の霹靂でした。そのうえ担当医師の大雑把な説明に振り回され正確な情報が入らず、一家の対応は混乱していました。特に息子さんは患者である父親から「呼吸器はつけない、お前たちの世話にはなりたくない」と言われ続け、生と死のはざまで悩んでいました。

そんな彼を私は我が家に招き介護生活の実態を見てもらいました。そして、春の交流会に参加してもらい患者家族たちの生き生きとした姿をはっきりと確認してもらいました。またALS患者の体験記「生きる力」も読んでもらい、先輩の患者たちの苦闘ぶりも知ってもらいました。そういったかいもあって彼は家族と話し合い、呼吸器をつけて父親の介護することを決断しました。

その結論を父に伝えると父親は涙を見せて喜んで受け入れたとのことです。もし家族だけの話し合いだったら、こうはならなかったと息子さんは云いました。この患者さんは現在24時間の在宅介護を受けておられると聞いています。これは新しいALSの生き方が患者、医師、看護師、ヘルパー、沢山の人たちの力で実を結んだ例と言えるのではないかと思うのです。しかし、ALS患者の誰もが呼吸器を装着するとは限りません。


厚生労働省の昨年の統計によれば、全国に9000名のALS患者がいるとされています。その内およそ3割が呼吸器を着けていると言われています。この呼吸器装着率は世界の中で飛びぬけて高い数字です。しかし、7割の人がまだ症状が進んでいないか、または、着けるかどうか悩んでいる方。そして、その殆どが人工呼吸器を着けることなく亡くなっているといわれています。

数年前、千葉のALS患者さん(当時68歳、呼吸器を着けて16年)が「病状が進み意思の疎通が出来なくなったら呼吸器を外してほしい」と病院に要望した事件が起き、波紋を呼びました。その病院の院長は「現行法では呼吸器を外せば(殺人罪などで)逮捕される恐れがあり、難しい。社会的な議論が必要」として、呼吸器外しには難色を示していました。難病患者を支援する関係者らも「自分の意思で外すことを認めれば、患者が周囲に気兼ねして死を選んでしまう恐れがある」と懸念している。と当時の新聞は伝えています。

確かにTLS(Totally Locked-in State〔完全な閉じ込め状態〕 または、TLcS Totally Locked-in Communicative State)の場合、瞼が開かなくなり患者とのコミュニケーションをとるのは大変です。しかし周囲の家族たちは何とか意思を確認しようと頑張っています。或るメーカーは脳波測定器を、或る企業は脳血流の量を測りながらイェス・ノーを判定し患者の意思を確認しようと奮闘しています。


数年前の春、NHKは“クローズアップ現代”でこの「患者の呼吸器外し要望」を取り上げました。しかし、その番組は私たち患者家族の実情や願いを反映するものではありませんでした。呼吸器外しを認めるよう提案した患者より重い症状の患者家族が、懸命に生きようとしている姿を取り上げず、センセーショナルな話題のみを論議していました。名誉ある撤退などという言葉を使い、まるで「安楽死」肯定論に導きかねない内容でした。 それから1年、NHKは再びこの問題をスペシャル番組“命をめぐる対話”と言うタイトルで取り上げましたが、今度は違いました。私たちが望んでいたALS患者の現状が正しく反映され、とりわけ目でのコミュニケーションが取れなくなった父親を中心に奮闘する患者家族を描いたシーンは大きな感動を呼びました。

ALSの発見以来欧米では、ALS呼吸運動系麻痺は「終末=死」とみなされてきました。原因不明、治療方法もなし、展望も無いことで、長きに渡って絶望的ALS観が支配してきたのです、その影響は日本も例外ではありませんでした。確かにALSの原因は未だに不明ですが、患者の血液によるゲノム解析や、ヒト胚幹細胞による研究が進められ、原因や治療の解明がいろいろと行われているのです。皆様もご存じと思いますが、京都大学のグループがiPS細胞をマウスの実験で作るのに成功しました。これは誘導多能性幹細胞と訳され、人間の体を構成する組織や臓器の再生を可能にする画期的なものなのです。私達もとても注目しています。

近年1990年、日本では呼吸器療法への医療保険の適用が法律により認められ、「呼吸器療法」は国民の権利となったのです。その後、日本では人工呼吸器の改良、軽量化が進み、また医療保険の適用も可能となり経済的負担も軽くなり、気管切開による人工呼吸器の利用は急速に増加しています。しかし、ALS患者にとって呼吸器はあくまでも対症療法であって根治療法ではないのです。こうした状況下では、今までのALS観でなく「新しいALS観」が求められているのです。

「新しいALS観」とは、まず呼吸器療法は国民の権利であり、それを保障する諸制度を利用することもまた、国民の正当な権利であることを前提に、「人間が本来持っている、生きようとする力や創造力を引き出し、ALSと共に生きる意味や目的を探り見出し、生きる価値のある生活を築いて行く」という考えだと私は思っています。そのためには全国くまなく手厚いケアと保障、すなわち介護保険と障害者福祉サービスによる24時間介護の全国的実現が必要条件となります。そして近づきつつある根治療法実現の日まで希望を持って生き抜こうと考えています。


私はこの原稿を書いている最中に友人から衝撃的な言葉を教えられました。それは「ケアとはサイエンスに支えられたアートである」という一句です。この言葉は聖路加国際病院の日野原重明先生が、ある講演会で話されたものです。皆様はこの言葉を聞かれてどう受け取られたでしょうか?アートという単語に一瞬戸惑いや違和感を持ったのではないでしょうか。
ではアートとは何か?人間が或る動機を感じ知恵と技術を駆使し創造した行為及びその作品をアート(芸術)と私は理解していますが、ジャンルを問わず、大まかにいえばアートとは人間のクリエーティブな活動、行為を指すとは言えないでしょうか。

とすれば、ケアこそ愛とこころのこもった人間の技、サイエンスに裏打ちされた人間の立派なクリエーティブな行為、すなわちアートになりうるのではないでしょうか。かつて若いころ私はある医師の「医者は病気を治すのではなく病人を治すのだ」という言葉を知ったとき心に身震いを感じましたが、ケアとは人間の努力によってアートの領域にまで到達するのだというこの一句も強い衝撃を与えてくれました。これこそ究極のケアを表現するにふさわしい言葉だと思います。

すでに100歳を超えられた日野原重明先生の卓抜なる言葉に改めて敬意を表したいと思います。あなた方もやがて目指すケアの道に進みます。そしてこの新しいアートといわれる領域で仕事をし、生活することになります。どうかチャレンジして見てください。期待しています。



連載中の「ALSと共に生きて考える」は楽しんで頂けているでしょうか? 次回はいよいよ最終回 「終わりに 二つの転機」をお届けします。お楽しみに!(TK)