Facebook logo
vol.115 2016.10 発行

<第115回>バリバラ

「バリバラ」をご存知ですか? NHKのEテレで放送されている「バリアフリー・バラエティー」の通称です。最近私が最も気になっている番組の一つです。
 バリバラを私が見るようになったのは、なにげなく替えたチャンネルで見たコーナーがきっかけでした。SHOW-1グランプリという障害者の出演するお笑い企画で、第一回王者になった「脳性まひブラザーズ」のコントでした。それは、自分たちの障害を笑いのネタにした、かなり際どいモノでしたが私は爆笑してしまいました。興味のある人は動画サイトで脳性まひブラザーズ「コント・お医者さん」を検索してみて下さい。

 バリバラでは身体障害だけでなく、知的障害、精神障害、セクシャルマイノリティー、脱毛症やあざなどの見た目の問題など「生きづらさを抱えるすべてのマイノリティー」の人の話題が取り上げられています。そして、かなり攻めた内容の放送が多いように思えます。
そんなバリバラが今年最も攻めた放送と思えたのは、NTVの24時間テレビの裏で放送された、“検証!「障害者×感動」の方程式”です。

 番組は「障害者に感動は必要か?」と疑問を投げかけました。その上で、 障害者と感動を結び付け、「手の動かない障害者が口に筆を加えて絵を描く姿」や、「知的な障害を持つ人が安い賃金でパンを焼く姿」を見て“自分の人生も良くはないけれど彼らよりはましだ”と感動する行為が「感動ポルノ」と表現されることを紹介していました。つまり、障害のない人、あるいは軽い障害を持つ人が重い障害を持つ人へ向けて「優越感を含んだ視線で他者を感動の材料にすること」への批判の表現です。「障害者は清く正しく頑張るものだ」という価値観への抵抗でもあると思います。

 「感動ポルノ」とは少し違いますが介助の現場にも、これと似た構造が見かけられるように思います。介助を派遣する事業者やヘルパーが「介助を利用する障害者に清く正しい生活」を求めてはいないでしょうか? 介助利用者に自分よりも劣る人の役割を押し付けていないでしょうか? 介助を提供する側に都合が良い障害者を求めることで「感動ポルノ」と同様の「上から目線」の構造を作ってはいないでしょうか?しかし、この構造を介助利用者である自分の立場から考えるとき「感動ポルノ」の対象にされてしまう原因の一端が「ダメ」な自分にもあるのではないだろうかと自問する必要を感じます。

 感動ポルノに浸りたい人の感性を逆手にとって「障害を持ちながら頑張っている人を演じて楽に高評価を得ようとする」や「障害があるため頑張ることも大変だと手を抜く」、「自分ならやりたくないことをヘルパーにやらせる」などの行為をしてしまいがちだからです。
 感動ポルノに浸ることは“うさんくさい”と感じる人は少なくないでしょう。しかし、相模原の障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた事件の犯人の「障害者はいなくなればいい」との考えよりもずっと良いとも思えます。あなたは「感動ポルノ」の是非について、どのように考えますか? (TK)



PAGE TOP