パーソナルアシスタント町田
vol.129 2017.12 発行

<第129回> 寛容は難しい

 「不寛容社会」という表現をメディアで見聞きするようになりました。「異なる立場や意見、考え方、宗教や民族などの違いを認めず否定する社会」との意味で使われているように思います。例えば、トランプ米大統領のアメリカ第一主義や移民排斥は有名ですが、フィリピンのドゥテルテ大統領も警察官に麻薬犯罪者の殺害を推奨しています。EUのいくつかの国は難民の入国を拒否しているし、日本でも難民申請に許可が下りることは殆どありません。WebサイトやSNSで起きる炎上も不寛容が関係しているように思えます。津久井やまゆり園の障害者殺傷事件の犯人の「障害者は不幸を作ることしかできない」との発言に同意はしないまでも「障害者に使うお金は無駄」とのムードが日本社会の価値観にないと言えるでしょうか。世の中は不寛容に向かっているのでしょうか…。
 「不寛容社会」より「寛容社会」の方が住み心地が良いように思います。違いが受け入れられない社会では常に緊張し他者からの否定に備えていなければなりません。違いが許容される社会の方が心穏やかに居られるように思います。しかし、自分自身の昨今を振り返ってみても“寛容になれない傾向”を感じます。真摯に仕事を行っているけれど段取りが苦手なヘルパーさんの不手際を怒ってしまったり、指示を待って動かないヘルパーさんに能動性を求めたくなったりしています。どちらもヘルパーさんの個性だと分かっているのですが…。
 そんな自分の不寛容の原因を推測してみると、体調が安定しないので気持ちに余裕が持てないからなのか?思考スピードが落ち指示が上手く出せなくなったからなのか?仕事の能率追求を他者にも押し付けたくなったからなのか?ストレスを他者にぶつけているだけなのか?どうもこれら全てが要因に思えてしまいます。つまり「余裕の無さが不寛容を作っている」と言うことになるのでしょうか?
 不寛容の原因が分かったとしても寛容になることは簡単ではないと感じます。不寛容の原因を取り除く、あるいは解消することが難しいからです。体調の安定も、思考スピードを上げることも、他者が高能率で仕事をこなすことも簡単に達成できるとは思えません。私の不寛容の原因から類推すると、社会の不寛容の原因は「経済の不安定や不均衡などに起因する貧困や未来へ希望を持てない状況」と言うことになり、この解決も難問のように思えます。
 不寛容を寛容に変えるにはどうしたら良いでしょう。不寛容な他者に不寛容で対抗し、相手の不寛容を駆逐すればいいでしょうか?しかし、これでは堂々巡りで終わりがなくなってしまいます。とは言え、不寛容な他者に寛容で応えるには自分を律する強い精神力が必要です。不寛容が話題に上がるメディアから参考になる知見を見つけました。新渡戸稲造(以前の5千円札の人)は不寛容の象徴としての「不機嫌な表情」を嫌ったそうです。不機嫌な表情をしないように心掛けることから始めてみるのはどうでしょう?(TK)



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