ヘルパー向けコンテンツ

PAM通信モバイル版

コラム

vol.56 2011.11 発行

〈第56回〉いい人なのに…

 東日本大震災と福島の原発事故から半年以上が経ち、世間の関心は地震や津波の被害から放射線被害に移ってきているように思えます。そんな中、気になっていることがあります。それは「被曝が怖いので福島には近づきたくない」や「原発事故後に収穫された米は食べたくない」などの意見を聞くことです。「福島にもいろいろな地域があるのに?」、「放射性物質が検出されていない米もあるのに?」などと思ってしまいます。

これらの意見は客観的なリスク評価に恐怖の感情が入り混じってしまっているように思います。例えば、国立がん研究センターの発表によると、2000ミリシーベルト(国が計画避難地域の基準にしている年間20ミリシーベルトなら100年分)の放射線被曝は“喫煙”や“毎日3合以上の飲酒”と同等の“通常時の1.6倍の発がんリスク”になるそうで、放射線被害のイメージと発がんリスクのギャップには驚かされます。

感情がリスクを過大評価させているのではないでしょうか?しかし、放射線被害の実証データは少なく、まだ分からないことも多いので正しい判断はとても難しいですし、専門家、農産物生産者、消費者などの立場の違いによってもリスクの受け取り方は変わるはずです。ですから、よく分からないリスクは全て拒否することも自己防衛や不安解消の手段の1つです。だとしても、リスクの評価と恐怖の感情は区別するべきだと思います。感情でリスクを評価してしまうと恐怖は決してゼロにはならないし、「放射性物質が検出されていない米でも福島産というだけで食べたくない」というようなことが起きてしまうと思うからです。

 これに類似したことが障がいを持つ人には起こりやすいと思います。例えば、私には以下のような体験があります。その店にはダウン症の店員がいて、彼女は出来る仕事を任せられ、出来ない仕事はサポートを受けていました。そんな雰囲気が気に入って通っていた店でした。ある時、順番待ちをしている私に店主が雑誌を持って来てくれました。写真週刊誌を差し出しながら店主は「これは字が少ないから読みやすいですよ」と話しかけてきました。「えっ?どういう意味?」と一瞬戸惑いましたが、すぐに店主が“障がいがある人は全て字が読めないと思っているのでは?”と気付きました。でも「私は字が読めます!」と言う気にはなれず「結構です…」と答えていました。

親切で雑誌を持ってきてくれたことを否定してしまうことにならないか?と思ったからです(後に字が読めることは伝えましたが)。そして、障がいを持つ人をサポートしながら雇っている人でさえ(そんな人だからこそ?)障がいについての理解はこんなものなのか…と思いました。この情況は、「放射線被害者をサポートしたいと思っていても放射線は怖い」と感じている人の情況に似ていると思います。「社会的なハンディキャップをなくそうとしている人が、自ら社会的ハンディキャップを作ってしまっている」と言い換えることができるかもしれません。

 リスクへ自己防衛を行わないことは無責任だと思います。しかし、自己防衛が被害者を作ってしまわないように気をつけるべきだとも思います。上記のような矛盾をはらんだ問題には感情と理屈を区別して考えることが被害者を作らない1つの有効な方法だと思います。 障がいを「低能力」や「不幸」というイメージや、介助労働を「非専門的」や「低賃金不安定」というイメージで捉えられることもあるPAMの関係者は、放射線被害についてどんな態度をとるべきなのでしょうか?(TK)