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PAM通信モバイル版

コラム vol.71 2013.2 発行

<第71回>地獄への道は善意で舗装されている


 先日、学校での“いじめ”をなくすために議論をするテレビ番組を見る機会がありました。そこでは、“いじめを受けている生徒の親子関係”の観点から“いじめ自殺”が起きてしまう理由を考察していました。そこでの議論を要約すると、親は「子の自尊心を守るため、助けを求められるまで待ち続けてしまう」、子は「自分がいじめられていると伝えると親が心配するので黙って死を選択してしまう」というものでした。

 いじめ自殺についての上記の考察は、自殺の責任は加害者が最大だとしても、自殺を止められない要因が親子の側にもあり、それは親と子の“相手を想う気持ち”が、または“善意”がぶつかり合うことで生じてしまうというものです。私には、これに類似した状況がPAMの介助派遣の現場(特にセルフケアマネージメントの現場)にも見かけられると思えてしまいました。

例えば、ユーザーとヘルパーの間には、ヘルパーは「介助の人手が足りないユーザー宅にたくさん勤務しようとする」、ユーザーは「仕事の少ないヘルパーをたくさん雇用しようとする」という理由で、1人のユーザー宅で同じヘルパーがたくさん勤務することがあります。双方の善意から始まっているので平常時はとても良好な状況になります。しかし、ヘルパーが病気になると介助のスケジュールに大きな穴があき、ユーザーが入院するとヘルパーは失業状態になり、さらに2者の関係がこじれると長い介助時間が長く辛い時間になってしまいます。

 一緒に生活をする障害を持つ子と親の間にも類似したことが見かけられます。親は「子供の助けになりたいとヘルパーがいても自分が介助を行う」、子は「親の愛情からの介助を尊重し(他人に頼むより楽だとの甘えも含まれますが…)親の行為を受け入れる」、そして「親は疲労困憊し、子は自立の機会を失う」との状況です。このような状況が見られるお宅では、互いに相手に縛られてストレスが溜っている(または、そのストレスの犠牲者がいる)ように思えます。

 しかし、客観的に考えてみると、この善意のぶつかり合いの構図は障害者のパートナーを持つ夫婦、高齢者の親子など、どんな人にでも起こり得ることだと思いました。もちろん私にも、互いに敬意を示し合うことで“無関心”という関係ができていると思うことがあります…。

 最近、上記のような状況を描写する「地獄への道は善意で舗装されている」という諺があることを知りました。善意を施しあっても上手くいかないどころか状況が悪くなることがあることを表現している諺です。そこには、「善意の行為なら全てが許されるわけではない」、や「善意の行為にも結果への配慮が必要だ」との含み意があるのかもしれません。

 親子の善意のぶつかり合いが最悪の結果を生んでしまった“いじめ自殺”の例は、いじめ加害者へ怒りをぶつけることだけでは消し去りきれない悲しさがあります。善意から始まったことが悪い結果につながった悲しさだからかもしれません。このような、これに類似した「最悪の結末」は私たちの周囲では決して起きて欲しくありません。そのためにも、私達は結果を意識した善意の発動を心がけましょう。(TK)