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コラム vol.95 2015.2 発行

<第95回>ALSと共に生きて考える : Ⅱ 四番目の病院と告知



三つ目のC病院に裏切られ止む無く、第四の病院を探すことにしました。その経緯は略しますが、とにかく遠くても症例も多く信頼できる病院として探し当てたのが、相模原市にあるD病院でした。初めて病院で出会ったとき「良くぞ来られた」と言う病院側の抱きかかえんばかりの歓迎の態度と「21世紀の科学に期待しましょう」の言葉に私達は感動し、今度こそはとの思いで安堵感に浸ることが出来ました。
早速検査入院し、肺活量や手足の筋力テスト、筋電図やCTスキャンなどを集中して行われた後、運命の日が来ました。

私達の告知は主治医、看護師、妻と私の四人で行われました。緊張した気配も無く始まりました。
「あらゆる検査から見て残念ですがALSと診断します。この病気は人によってちがうが進行性で、今は四肢に来ていますが、将来肺機能に及ぶ可能性があります。それはいつ起きるか予想できません、しかし、その時選択できる二つの道があります。人工呼吸器をつけるかつけないかの道です。それを選ぶのは患者自身で私達ではありません。
呼吸器をつけて元気に生活している人は少なくありません。飛行機で海外に出かける人もいます。

若し、つけて生きるとしても家族の介護が必要になり家族の同意も要ります。奥さんに逃げられた男性もいますよ。家族と相談の上決めてください。そして主治医はこう付け加えました。「今夜は思い切り泣いてもいいですよ!」と。
告知とは云っても受胎の告知と違って、何日後にいつそうなるとは誰も断言出来ないのです。その漠然とした可能性に対処する心構えをしとけと言う風に受けとめました。
私達夫婦の間では相談するまでも無く結論は出ていました。呼吸器をつけてなお元気に生きている人がいるなら私達も生きようと。二人はともに子供時代に戦争を体験したので生きることと平和な生活への執着心は人一倍強く持っていました。

特に私は65歳、35年にわたってテレビ報道の分野で仕事をしてきました。取り分け、ベトナム戦争やカンボジア紛争に関わる取材が多く、実に多数の人間が何の意味も無く爆撃や戦闘の砲火の中で略奪され殺される実態を見てきました。また、その取材中に私の同僚や多くの友人達が命を落としているのです。そんな彼等の為にもこの世界がこの先21世紀にはどうなって行くのかを見届ける義務があると思ったのでした。我が身に降りかかった難病という不幸を泣きの涙で嘆くどころか、久し振りにこの夜は生きる為にと胸が熱くなった夜となりました。

しかしこの決断は、長い公務員生活を退職し、これから第二の人生を楽しむ予定だった矢先の妻にとっては、青天の霹靂というべき事態で、夢を壊してしまい本当に申し訳無く思いました。それから19年あっという間の年月でした。介護のほかに私に代わっての講演原稿の代読など、言葉に言い尽くせない感謝の思いで一杯です。

次回は連載の第3回目「Ⅲ 訪問看護との出会いから気管切開まで」です。
ご期待ください!(TK)