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コラム vol.99 2015.6 発行

<第99回>ALSと共に生きて考える :Ⅴ 看護師の役割と点と線と面の関係 患者の安心三条件



今回のコラムは、連載「ALSと共に生きて考える」の最長文の回で、コラム担当の私(TK)がPAM関係者に最も読んで欲しいと思う部分です。その内容は看護師さんの役割が中心ですが、ヘルパーさんやユーザーさんの立場から読んでも示唆に富み、読み応えのある内容です。ご感想、著者への意見や質問などもお待ちしています。それでは、お楽しみ下さい!


呼吸器をつけて四か月、病院での療養生活は長くもあり短くもあるというものでした。毎日沢山の看護師や補佐さんの看護や介護サービスを受けながら、いろいろと考える日々が続きました。人は人に支えられて生きているという現実。それはこれまで過ごしてきた自分の半生を振り返り、自己反省の良い機会ともなりました。今まで自由に生き行動し仕事をしてきたかに見えた自分って何だったのだろう?本当に一人でやれたのだろうか?いやそうではなかったのだと気付きました。多くの人の手によって命を支えられている自分だが、病気になる前も、実は見えない無数の人の手によって支えられ助けられて来たのでは?と深く思うようになりました。こうして、お世話になった病棟は第二の人生の出発点となりました。

そして、いよいよ11月末に本格的な在宅療養生活に移行することになりました。病院としてはALS患者を在宅に送り出すのは初めてのケースだったので、大規模なカンファレンスを開き、入念な準備期間を経て、1997年11月に私の在宅療養生活がスタートしました。以下に私が経験した二つの療養生活、すなわち病院と在宅の実際の体験から得た看護師の役割についての感想や考え方を、かなりの主観を交えて述べますので、あらかじめお許し下さい。

病院には専門の医師を初め多数のスタッフがおり、医療設備も整い、患者家族にとって安心な場所であることは間違いありません。しかし、入院した患者にとって快適さ100%と言えるかと言えば、必ずしもそうではないのが実情ではないでしょうか?看護や介護は究極のところ人の手によって、組織の力も所詮人の手よって実現されるのです。人のすることですから社会を反映して、上手い人もいれば未熟な人もいます。
器用な人もいればそうでなくコツコツと地道にやる人もいます。その差が看護や介護に反映されるのは仕方のないことです。

病院の場合、看護師さんは病院と言う組織の一員として働きます。時間割が決められ、仕事の分担も割り振られて動きます。近年病院も医療制度改革の名目で合理化や人員削減が行われ、病棟では看護師さんが受け持つ患者の数も増え、忙しさも眼に見えて増えています。当然受け持ちの患者との接触時間も減ってきます。文字盤の利用による私との会話も減らさざるを得ません。数年前までは、勤務交代の合間に彼女達と故郷の話、旅や温泉、訪れた美術館の話しなどを交わしたものでした。それによって私は看護師さんたちの個性や人柄を知るよすがとなり、看護師と患者との貴重なコミュニケーションの役割を果たしていたのですが、今では難しくなりました。

その点、訪問看護師さんの場合は条件が異なります。1患者家族当たりに与えられた時間3時間前後で仕事を終えるという忙しさは変わりありません。訪問先を日に数軒も受け持つのですから。しかしそれでも、病院の看護師さんより患者家族と接する時間が長いという利点があります。両者の日常の仕事の内容は、バイタルやパルスオキシメーターの計測、聴診、排痰、浣腸の作業、全身の清拭、ストレッチとマッサージ、経管栄養、洗髪、歯磨きや髭剃り、爪切り、耳掃除など同じですが、それぞれに対する時間の掛け方が違うように思えるのです。

例えば浣腸にしてもリハビリにしても、病院では余り時間を掛けられない事情があります。摘便でも時間を掛けずに行うので随分痛い思いをしましたが、訪問看護師さんのそれは、急ぐことなく、とてもソフトで無理が無いのです。その差は時間の問題でなく、むしろ人の資質によるのか?経験と修練の蓄積がものを言うのでしょうか?

もう一つ典型的な例について話します。
それは排痰を促すタッピングについてです。
病院では体位交換の時間が決められていて、その時タッピングをしてくれます。掌を開いて布団をたたくように、十発ぐらい叩きます。ところがわが在宅では訪問看護師さんは掌をすぼめリズミカルに優しく叩きます。そのリズム感が患者の心をいっとき気持ちよく和ませてくれる効果があるのです。
ついでに排痰のスクイジングについて触れようと思います。

この排痰行為は、在宅療養の中で、器具や薬も使えない中で行える有効な方法だと思います。手の感触で痰を探し出口へ追い詰めていくやり方なので多少時間はかかります。私の場合はこのやり方が身体に合っているらしく気持ちよく痰がでてきます。これは人によって差があると思いますが。しかし、残念ながら病院ではしてもらったことが無いのです。
その他病院では味わえない在宅療養での楽しみは、訪問看護師が交わす何気ない会話が聞けることです。話題は家族、息子や娘のこと、季節の花、テレビや映画、料理など生活全般にわたります。これは単調なベッド生活を送る私に潤いをもたらしてくれるのです。

私はこれまで比較する意味で、かつて私が体験した古い例を引き合いに出しましたが、現在では相当改善されている筈です。そして、病院には伝統を受け継いだ素晴らしい看護師さんたちが多くおられるし、患者について細かく行き届いた心配りや観察力と看護技術の持ち主が沢山おられることを特に強調しておきます。私は入院ステイ中に頭の中でランキングをつくるのですが、最近は上位のベテラン勢に混じって若い2~3年組が登場し嬉しい限りです。特に新入りの看護師さんたちの成長振りをこの眼でみるのは楽しいことです。自信無げな声の小さな子、目線を捉えられず文字盤の向こう側でウロウロしていた子、吸引といえばチューブをただかき回すだけだった彼女達の変わり様を発見するのはとても嬉しいですね。


☆点と線と面

病院と在宅の両方で長年療養生活を続けていると気づく事があります。それは看護師さんと患者との関係についてです。仮説を立てて見ました。

病院は組織体として機能しているところで、看護師はその一員となって言わば「点」となって活動する。点ではあっても1人が数人、又はそれ以上の患者を受け持つ重要な「点」である。そしてそれらの「点」が積み重なり、時系列で配備され日勤、準夜、夜勤と24時間の「線」となって看護体制が確立する。しかし、線と言ってもそれは強く太いもので、一旦問題がおきれば、医療スタッフや機材機器が動員され、その解決に当たれる力を持った強い「線」なのである。しかし、いかに強い「線」とはいっても組織の土台となり出発点となるのは点である看護師にあります。そこで問われるのは看護師の力量、すなわち病状への観察力、それを支える知識と情報、患者家族とのコミュニケーションが上手く取れているかなどである。
しかしながら患者との接点となると、看護師は決められたスケジュールに縛られ、多数の患者との接触は時間も限られざるを得なくなる。したがって「忙しい看護師さん」という印象が付きまとうのは宿命なのかも知れません。

それと対照的なのが、在宅にやってくる訪問看護師の場合です。
1回2時間の訪問看護だが、患者家族との接点は広く奥深いものがある。病院の場合と比較して言えば患者とは「面」の関係にあると言えるのではないか。患者とは長時間接し多面的なサービスを行う。
全身の観察から始まりバイタルの計測、吸引、排泄、清拭、リハビリなど。患者の病状を診る面からも多面的で、それらの行為は病院の場合と違い比較的時間の余裕のある中で行われる。また、排痰や清拭やリハビリなどでは看護師が持っているテクニックが発揮され患者にとっては嬉しい看護サービスになるのである。その他車椅子で外出したり映画やショッピングをしたりする楽しみもある。これらは暮らしや地域の中で生活する患者家族の「面」に触れざるを得ないと言うことではないか。在宅医療の場合、暮らしの中に入り込み患者家族の生活を理解した上で看護・介護のプランやサービスを組む必要があると考えます。

近年、私の住む相模原市では、ALS患者家族会を中心に患者同士の交流会が盛んになって来ています。この活動を深く広く支えているのが相模原市の訪問看護師さん達である。このことについては後で触れますが、暮らしや地域の生活に密着した活動を行えば、結果的に社会貢献にまで発展する芽を持つことになると言うのが、私の考えです。
これまで看護師の役割について述べて来ましたが、患者からみて最も望むことは安心の一語に集約されるのではないでしょうか。患者に安心を与える上で必要なものとは何か?について私の考えを三つのポイントに要約します。

  1. [気配り]病気についての特徴や全体像を把握し患者の身になって常に考える。
  2. [目配り]現場でよく観察し判断し変化を見逃さない。献身的で手抜きをしない。看護の看の字の通り、目と手を使ってよく面倒を見ること。
  3. [話しかけ]患者とコミュニケーションを上手く取ることが大事。大きくはっきりとした声で患者に安心感を与え、相互に理解し信頼し合える関係になることが大事。

以上の三つの中から、気配りについて具体的な例をあげてみます。


私たちALS患者は、入院するとき必ず装着を義務づけられている器具があります。それはパルスオキシメーターと言う血中酸素の飽和度を図るもので、呼吸が24時間順調に行われているかを監視する役割を持っています。洗濯バサミ状のもので指先を挟みます。長時間締め付けられると指先はシビレ痛みます。本来なら2~3時間で指を変えるのが望ましいのですが、そうはいかないのが現実。その指変えは患者にとっては、たまらなく待ち遠しいものなのです。普通看護師さんは変えたらすぐに立ち去ります。でも痛みは残ったまま。しかしその看護師さんは違いました。ただ指を変えるだけでなく、ある気配りが加えられるのです。それはしびれた指をほんの2~3秒握ってくれる事なんです。何だ、そんな些細なこととお思いでしょうが、それは私にとっては予期せぬ心温まる瞬間でした。ほんの短い時間ですが何と貴重な瞬間でした。そんな指を握ってしびれを治すなんて教科書にはおそらく載っていないと思います。でも、こんなことがまだケアの現場には沢山あると思うのですが、皆さんはどう思われますか。

もう一つの例ですが、市内のある病院での経験をお話しします。その病院は今までALS患者をショートステイで受け入れたことのないところです。
ある晩、仕事熱心で真面目な夜勤さんが担当になりました。吸引も律儀にしてくれました。7時頃人工呼吸器のアラームが鳴る、第1回目。タンが絡んいでると見てすぐ様吸引、担当の看護師さんも安心の笑顔。しかし1時間後またアラーム、吸引と続く。タンの絡みは少ない、そしてまたアラーム。その時私は彼女に伝えたかった「タンではなく回路に原因あり」と。いわゆるカフ漏れである。しかし看護師さんは吸引に一所懸命で文字盤を使おうとしなかった。結局看護師さんは朝までアラームと苦闘することさらに数回、お疲れさまという以外にないですが、私も眠れぬ一夜を付き合いました。結果はやはりカフ漏れ。どうして患者に話を聞こうとしなかったのか謎ですが、この体験で私の言いたいことは2点。

まず、コミュニケーションの重要性、患者への話しかけです。
次に患者のことは患者にも聞いて欲しいのです。
例えば看護師さんが吸引を終えベッドを離れるときに一言声をかけてほしいのです。「何かほかに(用が)ありますか?」この声かけで患者は甦ります。この一言で看護師が気のつかない小さなことを知ることができるのです。これが私の考えるコミュニケーションの基本形です。

この項目を終える前に、看護師経験豊かなある看護師さんの思いをぜひ聴いてください
「臨床での経験を通して思うことは、看護には“これが正解”というものが常にあるわけではないところが、看護の難しさであり、同時にやりがいなのだと思います。また、もう一つ言えることは、患者さんと直接会うこと、そしてその時に感じたことを大切にして欲しいということです。アナムネーゼ(病歴・生活歴)や看護記録、カルテの情報など患者さんの情報はあふれています。しかし、直接患者さんのベッドサイドに行き、話を聴き、触れることから得る情報や感覚が何より看護につながります」
私にとっても胸にジーンとくる言葉です。

これまで私は看護師さんの役割について述べてまいりましたが、私たちの在宅療養生活にとって欠かせない役割がまだあります。それはヘルパーさんです。我が家では、その役割は看護師や患者家族のサポートですが、仕事は沢山あります。認可を受けての吸引、経管栄養やモーニングケア、歯科衛生士に劣らない歯磨き術、散髪、マッサージ、清しきなど多種にわたります。中でも外出介護はベテランで、安心して任せられます。在宅療養家族にとってはかけがえのない貴重な存在になるのです。 ヘルパーさんが仕事をするにあたって心得るべき点が二つあると思います。ひとつは患者の病状を正確に把握すること、どんな変化にも的確に対応できる態勢作りの基礎になる。
二つ目は患者家族とのコミュニケーションがうまく取れているか、意思疎通の問題です。
以上、私の仮説を紹介しました。



連載「ALSと共に生きて考える」の第5回目は如何だったでしょうか? 
次回は「Ⅵ 外出と患者家族会」をお届けします。ご期待ください!(TK)